| 2009/12/30 NOTE |
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| 人殺しの何が罪かと |
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『最近エミリオがふさぎ込んでいるようなのだ』 そうキースから相談を受けたのは、とある雨の日の昼下がりだった。 正直、子供の相手などしているほど暇ではないのだが、違った価値観から話をしてみて欲しいとねじこまれ、ウォンは仕方なくその話を受けたのである。 受けた以上はある程度まじめにやらねばなるまい(という考え方そのものが最初から手を抜くこと前提なのだが)と、ウォンはエミリオの部屋へ向かう道すがら色々と思索を巡らせていた。 大体、そのエミリオという少年はどうにも興味が沸かない。もっともそれを言ったら世の中のほとんどの人間はウォンにとっては面白くもなんともないので、別にその少年だけが特別というわけではない。 とりあえず美辞麗句で煙に巻けそうなら、それが一番楽だろう。適当に都合よく綺麗な価値観を押し付け、納得したような気分にさせてしまえばいい。得意分野だ。どうということもない。 ウォンはそう自分を納得させると、いつの間にか辿り着いていたエミリオの部屋の扉をノックした。 「こんにちはエミリオ。入ってもよろしいですか?」 応えには一瞬にはわずかに長い時間を要した。 「ど、どうぞ…」 怯えたような声に扉を開くと、子供部屋というには簡素な―――というよりだだっぴろい部屋が視界に広がった。実際にはそれほどの面積は無いのだが、ものが少ないせいでそう見える。その隅に置かれたソファの、これまた隅にちぢこまるようにして、小さな少年はこちらを怯えた目で見つめてきていた。 「えっと、ウォン、さん……?」 名前を覚えられていたとは意外だった。一対一で会ったことはなかったし、大抵はキースが主に話しかけていたため、印象に残っていないだろうと思っていたのだが。 「覚えてくれていたとは光栄です。ああ、敬称は結構。ウォンはあだ名のようなものですので」 そこでエミリオはふいに何かに気付いたように、抱いていた膝から顔をあげた。 「ロシア語…」 そう、先程からウォンはロシア語で話をしている。サイキッカー同士ならば念話を併用することで言語が違っても意思の疎通はできるのだが、共通の言語が使えるのならばそれに越したことは無い。 「ウォン…って、すごいんだね」 エミリオが尊敬の混じった眼差しをこちらに向ける。多数の言語を操れることは、子供からすればとんでもないことに思えるのだろう。実際エミリオの前でウォンは、少なくとも英語、ドイツ語、ロシア語の3種類の言語は使っていることになるし、見た目から明らかに中国語も扱えることはわかる。 「言葉など、少し勉強すればきみもすぐに覚えられますよ」 「ホント?」 「お望みなら、教材を手配しましょう」 笑いかけて、ウォンは自然にエミリオの方へ歩み寄った。それに気付いたように、エミリオが慌ててソファのさらに隅っこに寄る。 「あ…ど、どうぞ、座ってください」 怯えられたかと一瞬冷や汗をかいたが、そういうわけではなかったらしい。ウォンは苦笑して空けられたスペースに腰を下ろした。 「ではお言葉に甘えて。少しお話をしたいのですが、構いませんか?」 「あ、はい」 こころもち緊張した様子で、エミリオは傍らにあったウサギのぬいぐるみを抱きしめた。 「最近元気が無いようですが」 といってウォンが気付いたわけではなくキースに指示されただけなのだが、それは黙っておく。 「あ、そ、そう見えました?……ごめんなさい」 ぬいぐるみを抱く手に力を込め、エミリオは視線を床に落とした。 「謝ることではありませんよ。ただ、何かあったのか心配で」 「でも、そのせいでウォンにこうやって手間を取らせちゃってるわけだし…」 ウォンは少しだけこの少年の評価を改めた。どうしても感情の伝わってしまいがちな念話で話しているわけですらないのに、鋭くこちらの心情を読み取っている。ただの子供と思っていたが、あるいは。 「確かにそれは否定しませんよ。私も忙しい身ですし」 少し試してみよう。そう思い、敢えて気遣いのない言葉を選ぶ。 エミリオの瞳に不安な色が浮かぶのが見えたが――― 「その時間を割いてでも、きみと話をする価値があるだろうと判断したまでのことです」 そう思い始めたのは実際のところたった今だったのだが。 エミリオは一瞬はっとしたようにこちらを見たが、また表情を曇らせて視線を床に戻した。 「それは、僕の機嫌は取っておかないと、またあの時みたいなことが起こるかもしれないから……ですか?」 この子は本当に聡い。聡いだけではない。ネガティブな思考のせいで、本来無意識に否定するようなマイナスの可能性を明確に意識している。 「そうですね。その危惧が正直なところ一番大きいですよ」 否定するか誤魔化すかされると確信していたのだろう。エミリオはびっくりしたようにこちらを見上げた。敢えてそれに気付かなかった振りをしてウォンは続けた。 「ですから、私にはきみを元気にさせる義務と責任があるというわけです。私もこのノア本部ごと吹っ飛びたくはない。保身です。というわけできみの悩みをさくさく解決したいです」 エミリオはこちらを見つめたままたっぷり10秒ほどは硬直していたが、ふいに弾けるように笑い出した。 「ちょ、ちょっとウォン、それはいくらなんでもあけすけすぎやしない?」 ウサギに顔を埋めるように肩を震わせて笑っているエミリオからは、先程までの刺々しい緊張感は消えうせていた。 「きみはちょっと鋭いようなのでね、最初から本音で話した方が信頼が得られるかと思いまして」 「だからそーいうことも普通は口にださないっしょ…イメージと全然違うんだねーウォンって…」 「普段はなかなかここまで本音を言ったりしませんよ?」 しれっと言うと、エミリオは首をかしげた。 「なんで僕には言うのさ?」 「単にきみが子供で、私の政治的な活動には影響が無いからですよ。でも口外されるとイメージに関わりますので内密にね」 再び笑いのツボに入ったらしく、エミリオはくの字に身体を折り曲げた。 やはりこの子は頭がいい。本当に今後とも話をする価値があるかもしれない。 エミリオの笑いがおさまるのを待って、ウォンは本題を切り出した。 「それで、何があったのです?」 「ん……」 流石にエミリオの表情が一気に暗くなる。しかし、何か言葉を選んでいるようなのでウォンは大人しく待った。 「ウェンディーが……」 ウェンディー。その名前を脳内で検索する。たしか最近ノアに来た少女だったか。あまり印象にない。しかしエミリオとかなり年が近かったような気がするため、仲良くなったのかもしれない。 「僕が故郷の町を……お父さんとお母さんを…その、えっと…」 「いいですよ、無理に言葉にしなくても」 言いよどむエミリオの頭を軽く撫でて先を促す。 「あ…うん。そのことを知っても、仲良くしてくれたんだ。でも……」 「でも?」 「こう言われたんだ。『お父さんとお母さんと街の人たちに償うためにも、しっかり生きなければだめ』って…」 「………」 いかにも純粋な少女らしい、前向きで励ましに満ちた、そして無責任な言葉だった。 「償うって、どうしたらいいの?みんなはもういないのに…誰に?何をしたらいいの…?」 ウォンは溜息をついた。わざとらしく聞こえればいいと思ったが、実際のところそれは本気の溜息だった。 「ウォン……?」 この聡い少年は当然それに気付いたのだろう。不安げにこちらを見上げてくる。 「いえちょっと。呆れたというかなんというか…」 普段なら絶対に口にしないことがある。しかしこの少年になら、それを言ってやってもいいかもしれない。ウォンはそんな気分になっていた。 「…なぜ償いなどする必要があるのです?」 「え、だって……僕はその、人を…」 「殺した?」 ざっくりと言い切ると、エミリオが息を呑んで硬直した。 「殺したからなんだというのですか?」 「へ……?」 全く意味のわからないことを言われたという様子で、エミリオは目をぱちくりとさせた。 「だ、だって。人をその……殺す…のは、悪いことでしょう…?」 「どうして?」 その問いに、エミリオが絶句する。 「人を殺すことはワルイコトだ。確かにきみはそう教えられてきたでしょう。ですが、そのワルイコトがなぜワルイコトなのか、なぜやってはいけないのか、それを考えてみたことはありますか?」 ないだろうと確信した上で聞く。この年頃の子供では、万一考えたことはあったとしても結論など出せているわけがない。それを教えてやろう。たったそれだけのことで、この少年の悩みは全てが氷解するのだから。 「だ、だって…ウォンだって、言ってたじゃないか。僕に殺されるのはごめんだって。自分がされたくないことを人にしないのは、当たり前のことで……」 「当たり前の事というものを、なぜ守らねばならないのですか?」 これを理解するには、自分の中に築かれてきた根源的な価値観を全て崩して組みなおす必要がある。大人になるにつれ、どんどんこれは難しくなる。だが、まだこれくらいの子供ならば―――そしてこの頭の良さがあるのなら。 「『悪いこと』『当たり前』のこと。これらは、絶対的な事ではなく社会のルールなのです。ルールによって定義される『罪』というものは、ルールによって罰せられますが、それ以上の意味などない」 エミリオは目を白黒させた。 「え、えっと……じゃあ、ルールに縛られない立場にいるなら、やってもいいってこと…?」 「違います。『いい』とか『悪い』とかいう言葉を使うこと自体が、そもそもルールに縛られている証なのですよ」 ちょっと子供には難しい話なのだが、子供でなければ意味が無いことでもある。エミリオは理解に苦しんでいるらしく、ウサギを抱きしめながらブツブツと何事かを呟きながら顔をしかめている。 「…まあ、少し話が難しすぎますね。これはゆっくり考えていただければ良いと思います」 「はあ……」 エミリオはいまいち噛み砕けない様子で首をかしげた。 「ではきみにもすぐにわかることをひとつ」 ソファから立ち上がり、ウォンはエミリオを振り向いて一本指を立てた。 「私は、きみが何かの罪を犯しているとも思いませんし、きみが何かを償う必要があるとも思いません」 「え……」 きょとんとした顔の少年にもう一度、 「だって私は、人殺しなんてなんとも思ってはいませんからね」 そうだめ押した。 エミリオの表情に明らかに驚愕が広がる。本当に殺人をなんとも思わない人間が存在するなど、マンガやドラマの世界の中の話でしかなかったのだろう。 自分だってかつてはそうだった。 この考えに至ったとき、世界は何もかも一変した。何でもできる。自分は何にだってなれるのだと。 「善悪ではない価値観で世界を捉えてみませんか。きっと、空の色すら変わって見えますよ」 << 戻 >> |