| 2009/12/8 NOTE |
|
<< 戻 >> |
| その数字、56と1 |
|
「おっはよー、せつなー!」 その一言に不穏な気配を感じ取ることができたのは、完全に経験の賜物だったに違いない。幼く陽気なその声には一片の悪意も見当たらない。長年の友人でも起こすような気軽さで飛んできたその一言に、意識だけは瞬間的に覚醒したものの、身体の反応は完全に一歩遅れた。 ついた手に力が入らなかったので起き上がることは咄嗟に諦め、身体ごと横に反転する。漠然とした危機感のようなものが身体の横を通り過ぎる感触にぞっとしながら、刹那は一瞬の無重力感に身を委ねた。 ああ、このままどこまでも落ちていけたらきっとこの声の届かない所までたどりつけるのかもしれない。そこは明るい緑の森で、空色の小鳥や小さな鞠のようなリスがたわむれる楽園に違いない――― 実際はそんなエデンがあるはずもなくベッドから転がり落ちていたのだが、したたかに打った腰も大穴の開いたベッドに比べれば軽傷であると思えた。 「目ーさめたー?」 「覚めるに決まってるだろーがッ!沸いてんのか!?」 全く悪びれる様子もなく問いかけてきた少年を本気で怒鳴りつけ、刹那は勢いよく起き上がった。が、少年は臆しもせず銀色の髪を揺らし、重傷のベッドに腰掛けて無邪気な赤い瞳をこちらに向けてきている。 見れば目が覚めていることはわかりそうなものだし、目が覚めていなかった場合こんな問いかけをするまでもなく二度と目覚めなかっただろうことは明白なのだが、少年はそんな論理的な思考はしないようだった。 改めて見ると、ベッド―――自分がたった今まで寝ていたベッドだ、勿論―――に開いた大穴はなかなか冗談ではない惨状だった。そもそも穴というか、撃ち抜かれた中央部分がほとんど蒸発して、ベッドそのものがまっぷたつに折れている。その余波は当然のように床にまで及んでおり、絨毯は当然としてその下の合板の床材を貫き、コンクリートを10cmほど抉っていた。 内心ぞっとしながらもつとめてそれを表情には出さないよう顔をしかめ、刹那は傍らの少年―――エミリオを睨み付けた。 「昨日の腹いせに闇討ちでもしようってのか?」 「へ?」 エミリオは何を言われたかわからないというふうにきょとんとこちらを見つめ返してきていた。 事の起こりは一月以上前に遡る。 人工サイキッカー改造手術を受けてから、刹那は力の使い方を学ぶために模擬戦形式で訓練を行っていた。 最初のうちの相手はソニアという名の女性型人工バイオロイドだった。始めこそわけもわからないうちに叩き伏せられていたが、何度か戦ううちにコツをつかみ、それなりに勝てるようになってきていた。そこで次の相手として指定されたのがこの銀色の翼の天使だったのである。 「…どうしてこいつが、二番目の相手なんですか?」 ガラスの向こうの戦闘を眺めつつ、刹那は怪訝さを隠しもせずに呟いた。 サイキッカーの戦闘訓練のために作られた施設。広大な空間を装甲板と強化ガラスで覆い、更にサイキックパワーによる結界という二重の防壁の向こうで、ふたりのサイキッカーが対峙していた。 ひとりはソニア。昨日まで刹那の戦闘訓練相手となっていたバイオロイドである。それなりに強力なサイキッカーとも渡り合える能力があるということだったが、今はもう三本中二本は取れるようになっている。 そのソニアに相対しているのが、エミリオだった。いつもやかましくクソ生意気なガキだが、これがソニア相手に手玉に取られていた。少年の放つ光の矢はことごとくかわされ、強力無比と思われた破壊光線はバリアで完全に無効化されている。およそ格下にしか見えない。 「不思議ですか?」 そう面白そうに返してきたのは、彼らの上司であるウォンだった。次の相手はエミリオにしろと命令してきたのも彼である。 実のところ意外だった。他のサイキッカー達が腫れ物に触るように扱っているあのエミリオが、実戦でこれほど手ひどく苦戦しているとは。それとも自分の能力が高いだけなのだろうか。 「ソニアより圧倒的に弱いじゃないですか」 見れば明らかにわかる事実を口にすると、ウォンは失笑をかみ殺したようだった。隠し事をされたようで気分が悪い。刹那が眉根を寄せると、ウォンはひとつ咳払いをして、妙なことを口にした。 「ソニアの感情回路は、実はオフにはしていないのですよ」 「は?しかし……」 模擬戦中のソニアは、およそ感情らしいものを顔には出さなかった。そのことで、なるほどこれが人工バイオロイドというものかと納得したのだが。 「自分が女性型というのもあって、感情表現をすると貴方がやりづらいかもしれないと思ったのでしょうね」 「そんなことはありませんが……」 実際、相手が女だからといって手加減をするつもりなど元より無い。 「まあ、彼女はそういう女性だということですよ」 ウォンはそう言ったきり、これで質問には答えたというふうに口を閉じてしまった。 それがどういうことなのかは、その時は全くわからなかった。 「期待してたんだけどガッカリだなー、刹那ぁ!」 けたたましい笑い声が脳髄に響く。視界に滲み入ってこようとする血を余裕無く拭い、刹那は上空を舞う白い天使を睨み据えた。 新しくしつらえた訓練用スーツは既に何箇所も焼け焦げ、引きちぎられている。戦闘が開始してからここまで、刹那の攻撃はほとんどが出鼻をくじかれ、かろうじて出現させた闇の刃も鮮やかにかわされていたのだった。 逆にエミリオの攻撃は凄まじい圧力で刹那の体力を奪っている。直線的でかわすことも容易と思われた光の矢は、実際に相対してみると想像以上の速度で飛来する。バリアさえ張れば無効化できることがわかっていた光の奔流も、実際に凌ぎきるには余力をもって迎え撃たなければバリアがもたない。見ているときこそ自分の技に比べて単調で直線的と思えたが、いざそれが自身に向けられると冗談ではない威力と速度であることが身にしみてわかる。 ソニア相手にあれほど苦戦していた少年とは全く違う。これではまるで別人ではないか。 「昨日と全然違うって思ってるでしょ?」 考えを見透かされたように―――いや実際心を読まれたのかもしれないが―――言葉をかけられ、刹那は内心ぎくりとした。エミリオはそんな刹那の感情の揺れまでを見透かしたようにけらけらと笑う。 「別に僕は昨日と全然変わってないよ。同じようにやってるだけ」 どこかの二重人格と一緒にしないでよね、とは誰のことだかはわからなかったが、本人がそう言うのならそうなのだろう。では自分がこれほど一方的にやられる理由というのは何なのだ。 その疑問がそのまま顔に出たのだろうか、エミリオは「じゃあヒント」と指を一本立ててみせた。 「ソニアってば僕にすごーく厳しいんだよねー」 一瞬、突然出た名前がなんのことか良くわからない。が――― 「んで僕は、ソニアみたく優しくはないんだよ」 ニヤリ、と少年の相貌が細く歪められる。酷薄に、同情めいたものすら滲ませて。 そのことで、全てがふいに繋がった。脳がそれを理解した瞬間、猛烈な怒りと屈辱が胸の奥から爆発する――― (あの女……ッ!!) 黒い感情の猛りとともに、虚空に闇の刃が吹き上がる。 腹の底からつきあげる衝動が咆哮となって大気を揺るがし猛った。 「殺してやるぞおおぉッ!!」 そして次の瞬間、視界は圧倒的な質量の純白に塗りつぶされた。 結局エミリオからようやく一本取ることができるようになるまでには、それから三週間もかかった。それがつい昨日のことだ。 「だから、一本取られたのが悔しくて寝首かきにきたのかって聞いてるんだ」 銀色の天使はその言葉を反芻するようにふいっと首をかしげたが、すぐにけらけらと笑い出した。 「そんなことするわけないじゃんー。どっかの誰かさんと違って、誰が誰より強いーなんて興味ないっての」 低俗な嫌味に鼻を鳴らして抗議すると、刹那はベッドの脇にかけてあったシャツを乱暴に掴んだ。 「第一、いま56勝1敗だよ?普通に考えてまだ僕のほうが上だろバーカ」 「ぬかしてろ。すぐにひっくり返してやる」 律儀に数えていたのかと呆れながらとりあえずシャツを被る。首を抜くとすぐに目を合わせてきたエミリオは、なぜか物凄く何かを期待するような色を瞳に湛えていた。 「……何」 「早く着替えてよー。早く早くー」 「なんでだよ」 「今日もやるでしょ?模擬戦」 規定のプログラムには入っていないが、申請すれば許可されるはずだ。ここ数週間ずっと、こいつ相手にそれを繰り返してきたわけであるし。 しかし流石に連日連戦に身体にガタがきはじめていたので、一勝を機会に今日ぐらい休養を取ろうかと思っていたのだが。 「いや、今日はやめておく―――」 「えーなんでーなんでなんでー?」 明らかに不満そうな顔がずいっと迫り、刹那は思わず後ろにたたらを踏んだ。 「な、なんだよ。なんでそんなにやりたがる」 「楽しいじゃん?」 あっけらかんと言ってのけられてうっかり絶句していると、部屋のドアが鳴った。思わぬ助け舟に振り向くと、いつの間に入ってきたのか、開いた扉に身体を預けるようにしてソニアがこちらを見ていた。 「……何度かノックしたんだけど気が付かなかったようだから。お久しぶりね刹那?」 実のところ、エミリオとの初戦以降ソニアとは一度も会っていなかった。会えばまず間違いなく殴り飛ばすだろうというのは流石に自覚していたので、意図的に避けていたのである。しかし一度でもエミリオに勝ったからだろうか、不思議と彼女に対する怒りは薄れていた。 「…何の用だ」 ソニアは以前とは全く違う、情感あふれる仕草で肩をすくめてみせた。どうせもうバレたのだから好きにするということか。 「エミリオに勝ったって聞いて、ちょっと忠告しておこうと思って。まあコレを見た段階で手遅れだっていうのはわかってるんだけど」 と、焼ききられた扉のノブ部分をこつこつと叩いてみせる。なるほど、朝っぱらから二人も部屋に不法侵入してきた原因はこれらしい。じろりとエミリオに視線をくれると、少年はぺろりと舌を出してみせた。 「忠告?」 上から目線な単語に、一度は薄らいだ感情が瞳に漏れる。 「そんなに怒らないで頂戴。善意から言ってあげてるんだから。……で、その子なんだけど」 と、ソニアが視線でさした先で、エミリオが首をかしげた。 「自分より強いと思った相手には半端じゃない懐き方するから気をつけた方がいいわよ」 その言葉が含む多数の意味を脳が咀嚼するわずかの間に、ソニアは身を翻した。 「じゃあね。これで騙してた借りは返したつもりだけど、気に食わなければまたいつでもお相手するわ」 「ちょっ……」 色々と釈然としないものを問いただす間もなく、青い髪の女は扉の向こうへと消えていった。残されたのは、刹那と一匹の天使。 「ひっどいなーソニア、人をまるで厄介者みたいに〜」 と言いつつもにやにやと笑っているこの少年は、確実に自覚があるのだろう。自覚があってなお、直す気がないということだ。ぞっとしながら視線を合わせると、真紅の瞳に取り込まれた自分の姿が映る。 「とゆーわけで、はやくいこ刹那?」 刹那は苦虫を噛み潰したような表情を隠しもせずに盛大に溜息をついた。 これからどんな受難が待ち受けているのか想像もできなかったが、はっきりしていることは確実にひとつある。 この我侭で奔放な天使の、次のターゲットは自分に決まってしまったのだということだ。 << 戻 >> |