| 2009/12/6 NOTE |
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| 宗教結社ノア |
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爆音が建物を揺るがし始めたのは、数分前からだった。 主要施設のほとんどを地下に擁するこのノア本部は多少のことでは全壊しない作りとなっているため、その最深部に座するキースはそれほど危機感は覚えていなかった。それこそ核やそれに匹敵する威力攻撃―――例えばどこぞの天使のフルパワー射撃などだ―――でも喰らわない限りは、ここまで被害が及ぶこともあるまい。そしてその場合は、わざわざこちらに予兆を与えて警戒する隙など与えるわけがない―――初撃で吹き飛ばせば済むことなのだから。 今までそれをされていない理由は、比較的単純だと思えた。 それができるほどの力を持った世界のあらゆる国・組織にとって、脅威ではないのだ。このノアは。 それは相手の最終手段に対する究極の回避である。滅ぼす価値がない。それでいて、存在させておく意味はある。この二年というもの、キースがノアの維持に際して気を付けてきたのはその二点に尽きた。彼の忠実な部下であるカルロはそれが不満なようだが、現状ではこれ以外に採れる選択肢など存在しない。 そういったことを綿密に思い返したわけではないが、この状況はさほど危険ではないように思えた。つまりこういった情勢下でここが襲撃されるとすれば、それは個人か、ごく小さい勢力となる。大勢力のスパイという線もなくはないが、スパイがこう派手な音を立てるということもなかろう(そうだとすれば無能の類だ)。 しかし、それにしても交戦が長い。先刻カルロは自分たちで処理すると通信を送ってきたが、以降の音沙汰がないことが少し気がかりだった。単体での強力な能力者というものも存在する。個人とは何を考えているかわからないものだ。自分と同じレベルの能力者が、例えば私怨でここを襲撃しているのだとすれば、彼が出て行く必要があるかもしれない。 そう思い、彼が腰を浮かせた時だった。 霊廟とも言える茫漠と広いこの広間に、異質な空気が紛れ込んだのは。 「………誰だ」 上げかけた腰を敢えて椅子へと戻し、キースはつとめて冷淡な声を部屋に響かせた。しらばっくれられるかとも思ったが、相手は意外にあっさりと存在を認めた。 「…ノアの総帥、キースと見受ける」 単純に正面の闇から姿を現したのは、かなり高齢と思しき老人だった。初めて見る男だが、その特徴的な姿に見覚えがある。 「影高野か」 かつて、玄真と名乗る日本人の宗教家に、多くの同胞を屠られたのは記憶に鮮烈なところだ。その男と似たような服装をしている。 「いかにも」 そもそも隠すつもりならばわざわざこれほど目立つ格好はしてくるまい。老人はこれまたあっさりと認めた。状況からはかるに、ここに強襲をかけてきていたのはこの老人のようだ。上の爆音は鳴り止んでいる。 (カルロ、無事か) 制圧にあたったはずの部下に念話で呼びかけると、弱々しいながらも応答があった。どうやら死んではいないらしい。そのことに少なからず安心するが、表情には出さずにキースは正面の老人を睨み付けた。 「随分と無礼な訪問のようだが、用件はなんだ」 問いつつも、身体はいつでも戦闘に入れるよう力を練りこんでいく。相手が影高野であれば、問答無用に襲い掛かってくる可能性は高い。そう思わせるだけの経験があった。 「栞さまは、どこじゃ」 老人のしわがれた声に、キースは眉間に皺を寄せる形で応えた。栞?女の名前のようだが、記憶にない。状況が把握できず、とりあえず無難に言葉を選ぶ。 「…悪いがその名前は記憶にない」 こちらが知っていて当然、といった言い方であったことが混乱を深める。カルロが死んでいないことで、能力者は皆殺しという動機に信憑性もなくなっている。この老人は一体何が目的なのだ? 「……どこじゃと、訊いておる」 老人は、独鈷を構えて再度問いを繰り返してきた。 その先端に注意をはらいつつ、キースはゆっくりと問い返した。 「女の名前だな?日本人だろうが―――何歳だ?特徴は?」 もしかしたら同志の中にその栞なる人物がいるという可能性もある。が、恐らくこれはそういうことではないと、キースはふと気付いていた。 「ノアに彼女がいるとして、流石に同志全員の顔と名前は把握できていない。もう少し情報をもらえねば答えようがない」 あとは老人の良識と理性に期待するしかない。キースは覚悟を決めて老人を睨み据えた。 沈黙の対峙は数分も続いたようにすら思えたが――― 「……ふむ」 老人はふいに表情を変えると、独鈷を懐へと戻した。 「これは失礼仕った。先日用件を伝えに参ったところ、門前払いをくらったものでな。所詮サイキッカーとは話が通ずるものではないと絶望しておったのじゃが」 と、こちらに向かって頭を下げてくる。たしか日本では謝意を示すポーズであったはずだ。 「……いえ、そういうことならばこちらにも無作法があったということでしょう。不行き届きをご容赦願いたい」 話が通じたことに安堵し、こちらも椅子から腰を上げて謝罪を述べる。 (カルロ、死人は出たのか?) 再び念話で呼びかけるが、 「なに、誤解の可能性は考えていなかったわけではない。一人も殺しておらぬゆえ安心いたせ」 こちらの会話を見抜いたかのように老人が口を挟んできた。実際、特級の力を持つ能力者のカルロを打ち倒すくらいであるのだから、テレパシーを盗み聞きするくらいの能力はあるのかもしれない。 「人探しをなさっておいでか、ご老人」 「ああ。サイキッカーに攫われたということぐらいしか手がかりがなくての」 「…そういうことならばノアが真っ先に目をつけられるのは道理ですね」 なにしろ、そういう風に仕組まれているのだから。 『人類の敵・サイキッカーの総本山』。それがノアに張られたレッテルである。疑うのは当然の流れだ。 「もし疑念が晴れないのであれば施設内を調べてくださっても結構です。それくらいしか潔白を証明する手立てはないのでね」 こちらも相手の言い分を100%信じたわけではないが、差し当たっての妥協案はそんなところだろう。そう提案するが、老人は意外にも笑って手を振った。 「いや、遠慮しておくよ。あのカルロとかいう小僧は気にくわなんだが、お主はしごくまともそうじゃ。嘘を吐いておるようには見えぬわ」 意外なほどあっさり軟化した老人の態度を訝しむ。 「お主、何のためにノアなんぞという組織をやっておるのじゃ」 ―――サイキッカーによる理想郷を築くため――― いつも言っていたその美辞麗句を繰り返そうとし、キースはふとその必要がないことに気付いて口を閉じた。十秒ほども沈黙をはさんでから、ようやく言葉を作る。 「行き場のない仲間たちを受け入れる場所は、必要なのですよ」 方舟の名を冠した、二度と岸に戻らぬ泥舟であったとしても。 人間にはこの感覚は理解できるまい。 「ふむ、確かにお主は教祖のようじゃな」 唐突な台詞を呟き、老人はなにやら満足げにあごひげを撫でて続けた。 「宗教とはそういうものじゃ。道を失い、行く先に迷った弱いものたちを守る最期の砦。傷つき、目の見えぬ弱者どもには、手を取り支え、希望を与えてやるものが必要である。悲しみ、怒り狂う嵐には明確な方向性が必要である。お主はそれをわかっておるようだ」 宗教。 突拍子もない台詞だったが、なるほど言われてみればしっくりきた。つまり自分がやっていたことはそういうことだったのだろう。 ノアとは、新興宗教のようなものだ。掲げる理想に現実味がないのも、そのための実行力がないのも、いかにも宗教じみた非現実性ではないか。 「…子らを大事にしてやれ。いずれ敵対することもあるやもしれぬが、な」 それは恐らく、本物の宗教を、布教の立場から見ることのできる人間だからこそ言えた言葉だっただろう。 「………感謝します、ご老人」 「なに、その歳で苦労の絶えぬ若者を不憫に思ったまでじゃて」 満足そうに笑う老人を、キースは複雑な面持ちで見やった。同じ影高野の人間でも、これほど違うものか。亀の甲より年の功とは良く言ったものである。影高野と気付いた瞬間は、絶対に生かして帰すまいとすら思ったのだが、すっかりそんな気は失せていた。 「こちらへ。非常用の脱出口があります。部下に見つからずに外へ出られるでしょう」 「助かるの」 緊急用エレベーターに案内すると、老人は疑いもなくそれに乗り込んだ。どうやらまずは相手を信用するところから始める人間らしい。思えば『彼』も、そういう人間だった。『彼』もこの老人のように柔軟な考えをしてくれれば、今頃こんなことになっていなかっただろうか。 「ではお元気で。ああ、施設の損害については影高野の方まで請求書を送らせていただきますので宜しく」 「ぬ!?待て、同情はしたがそんなことまで約束は―――」 冗談を真に受けて顔色を変えた老人を無視してエレベーターの扉を閉め、強制射出すると、キースは広間の隅にわだかまる闇に目をやった。 どうしてこんなことになってしまったのだろうなどと、悲劇の主人公を気取るつもりはない。選んできた結果だ。しかし、その選択のひとつひとつに後悔は尽きない。もしもを考えずにはいられない。 これから先、何かひとつでも良い方向に転がることがあるとするなら――― と、キースは自分の考えていることに気付いて苦笑した。いつまでも女々しいことだ。 とりあえず今すべきことは、負傷者の救助と被害の確認だろう。あの頭の固いカルロには、侵入者は取り逃がしたとでも言っておくべきか。キースはそのための言い訳を色々と模索しながら、上に登るべく中央エレベーターへと足を向けた。 後に残るのは茫漠と広いだけの空間。ひとつの棺を抱いた、霊廟。 << 戻 >> |